向かう方向が同じだけに。

いろいろなことを書き留めていくと、

本当に起立性調節障害というのは、

どういったものなのかということは
ますますふかみにはまっていくような気がします。
何だか以前よりこれからというか迷路に
迷い込んだような感じになるのは、こ
の症状の特性かもしませんね。
私自身が感じているだけでなく
おなじような関係、私と同じような娘を抱えている方も
同じようなことを思っているのではないでしょうか?
もどかしいというか、何というか、複雑な心境だと思います。
早く治してあげたいということと、

なかなか治らないというの
とのはざまにいる間は本当に苦しいですよね。
しかし、何とか解決の糸口を見つけようと、
必死にもがいたり、努力したりするわけです。
確かにここで普通の親子とは違うのは強いきずなを
もち続けることだと思うのですが、
だんだんと一生懸命同じ方向に向かうというのは
良い意味いいのですが、
だんだんとやはり疲れてくるんですよね。
早く何とか解決したいなと思う毎日です。

客観的に書く

変化がおこっているということブログでのべたのですが、

これについてとりあえず詳細をメモることにしました。

大切なのは彼女がどのように感じ取っているのか、

それをどう処理していくのかということを

客観的に書き記す必要があるなと思ったのです。

単純に彼女が主観で動くようになったというだけではなく、

それを私が書き留めることによって、

彼女の励みになったり、もしくは気のせいだったのかというようなことも

わかってくると思うからです。

ほんとに微妙なことだと思うのですが、

それがとても大切だと思います。

違う病気でも、

まばたきができただけでも、

小指が動いただけでも、

それも一つの進歩であるのと同じで、今

回の場合も意識をするというだけ

普通とは違うような気がしますが、

薬の反応とは違いますので、

自分自身との戦いですから。

書きとめていく、それが本当に大事のような気がします。

まだまだこれからです。しかし、コレが一歩なんだと思います。

 

少しずつ変化が。

娘にいろいろ最近変化が起こってきているようです。
前まではまったく動けなかったんですが、すこしずつではあるけれど、
動けるようになってきたというのです。

ただ、輪k田日からしてみると、前とそれほど変わっていないように
思うのですが、本人がそういうのですから、少しずつ変化が見られるようです。
気持ちだけのもんだいといわれればそれまでかもしれません。
しかし、その気持ちが大切だと思うのです。
気持ちが途切れたら何もできないわけですから。
勿論こういうときは私がしっかりしないといけないので、
気丈にしていますが。
でも、私の気持ちについては逆に娘のほうが良くわかっているみたいで、
「大丈夫よ。ごめんね」といってくれます。
わたしっは一生懸命やっているつもりはないのですけど、
娘からしてみればそう見えるんでしょうね。
普通の女の子と同じようにしてあげたい、それが母の望みです。

できることをしっかりと探して娘のためにやっていきたいと思います。

新聞をうまく使う。

ずっとこの前まで起立性調節障害をネットでしらべていました。
今もちろんネット時代ですから、
私が出来ることと言えば娘のために
インターネットでその情報を沢山知ることだと思ったのです。
しかし最近はその考え方を変えてきているのです。
障害について何で調べているかというと、
実は最近ではいろいろな新聞で、その情報を得ようとしていますが、
新聞の場合は検索をかけて
すぐに出てくるわけではありませんので
すごく時間がかかりますが、
そういった情報が目に入った時に
そこに書かれてある記事というのは
何と言うのか
とても大切なことが書かれてあるような気がするのです。
そして実際に切り抜いておいておくこともできますので、
非常にポイントだなと思ったりします。
最近では、特にこの病気のことについてもいろいろと出てきていますので、
新聞などでも結構な確率でできているような気がします。
皆様どうぞ新聞などで見て参考にされてみると、いいのではないかと思います。
それぞれ本当にホットな話題ではないかなと思っていますので、
私はこの新聞の切り抜きを沢山集めるようにしています。

娘を思うゆえに、われあり。

子供というのはいくつになっても娘です。
私と同じ背丈になっても、
というよりも子供というのはかわいくて

仕方がありませんよね。

その子供が病気で苦しんでいるんですから、

私がかわりにその病気を受けて

私自身がその子の代わりになってあげるのと、

どれほど嬉しいだろうと思ったか、つくづく思います。

無理でも笑っていなければいけないと思う今日この頃です。
この症状自身は、私の人生も娘の人生も
とても試練を与えられたと思っています。
いろいろな人の話を聞き、
いろんな人と接することによって、慰められるというか
ありがたいなあと思うようなことです。

それもこの病気になっていなければ、

聞ける話でもないということも、

出会うこともなかった人だなと思うと

今となっては誇らしく思っています。

誰もがなる病気ではないということ。
そしてこの病気になった場合、周りの理解がなければいけないという、
この2点を解決していかなければなりませんね。

それで一歩前にいけそうです。

 

いまわかったこと。

大きな病気でない.

単純にいつかは治るというようなものは

世間ではなかなか納得してくれないものなのかななんて思います.
そういった観点から

私が一生懸命やっていても

周りの人達には

なかなか理解してももらえず

とても辛い思いをしました.
そして、先日からお話しているんフォーラムに参加してから

私の主人も大分意識が変わったと言っていましたが、

本来ならば、

周りの人たちもフォーラム来ていただけるとありがたいなと思うのです。
私たちのことを理解してくれというわけではなく、

娘も私も、苦しんでるんだということを少しわかっていただけたらありがたいのに

と思うのです.
肝心の娘ですが

相変わらず変わりはありません。

しかし周りの環境つまり

私や夫が変わってくることによって、

大分気持ちが楽になったということでしたっ
私が一生懸命だっていることがかえって娘にとっては

負担になっていることもわかったし、

頑張れば頑張るほど

悪循環に陥ることもわかりました.

今娘のために何ができるのかというと、

彼女のまわりの環境をできる限り整えてあげることなんだなと

いうことがわかりました.

私が出来ることと言えば

はっきり言って

私ができることなんてたかが知れています.
能力もなければ、

それほどの力もあるわけではありません。
しかし、娘のためを思えばほんとに何でもできる.

そういう気持ちって大切なんですよね.
起立性調節障害という言葉をきいた時は

この言葉を初めてみみにした時は、
驚いたとかショックとか、

そういった感情もありませんでした.
まずそれは何なの???ということだったのです.
つぎに娘のために何をしてやらなければいけないのか

ということを考えると、
全く思い浮かばない自分がいたわけです.
いろいろなネットで調べたり、

私ができることをと言う通りやってみたのですけど
どれも空回りしていたのが
今では懐かしく思えるのです.
懐かしく思えるということは

それだけ自分が成長したってこと?
などとちょっとプラスに考えてみるだけ

最近は余裕が出てきたのかもしれません。

病気のことについて

いろいろと書くよりも

私の心の変化を書いていったほうが

私と同じような悩みを持ってる人にとっては、
伝わると信じています.

私が幸せだと思ったこと

私の主人が理解者にならなかったわけではありません。

主人も少なからずしっかりと理解してくれているはずです。
でないと私自身がつぶれてしまうはずですから.
娘のために必死になっているのは

娘が頑張ってるからなのですが、夫も少なからず私を支えてくれるからなのです.

でもその主人が先日のフォーラムに参加して

やっぱりかんじることがあったというのはとても大きかったようです.
私への理解度が足りなかったごめんという形で言ってくれたのは

びっくりしましたが、とてもうれしかったです.
でも謝る必要なんて何もないんですよね.
彼自身も仕事をしているわけですし、

いろいろ世の中にはあるじゃないですか.
それを娘のために、そして私のために

いろいろと尽力してくれることは感謝しかないんですよね.
ありがたいわけです.
しかも今回のフォーラムも私がついてきてという形で

お願いしたのに

いろいろと感じ取ってくれることというのは

とてもありがたいなと思いました.
私、すごいでしょというのではなく、

私のことを素直に褒めてくれるということは本当に慰めになりました.
心のストレスもなくなりました.

私自身が褒めなければならないところも主人が褒めてくれたということは

本当に大きなことだと思います.

そういう意味でわたしは幸せだなと思いました.

現状を褒める

娘にとっても1人では何もできません。

母親の私も1人では何もできないわけです.
先日書いたブログでも結果的にはそういうことだったのです.
これって決して絶望という意味ではありません。
むしろ次への希望だと思って考えて

いこうということだったのです.

そういう発想は私にはありませんでした.
治らない病気だったら絶望だったかもしれませんが、

いずれ治る病気です。

何の問題もありません。
こういうことをいうと

何だか慰められてるのか、はたまた人ごとなのかと思うかもしれませんが、
やっぱり当事者がいると言葉に重みがあるというか説得力あるんですよね.

心の中で思っていたことというか

背負っていたものがすーっと消えてなくなった気がしました.
娘のために必死になっているということは、

それはかえって大きなストレスになったり、重荷だったりするんですよと
気楽になれって言われるが、むしろ逆に気楽になれないと語ってしまうところだということなのです.
だからこそ当事者がもっと気楽になってと

言われるとの意図を受け止める気持ちが出てくるはずだと言われたので

びっくりするぐらいストレスがたまっていたんだなということがわかりました.
こういうフォーラムは

どうしても解決策を探るとするのですかそうでなく、

現状をとりあえずよく頑張ってるということで

自分自身を褒めてあげることが大切だということを教えてもらい、

なるほど、ほんとにそうだなと思ったんです。価値があったのです。

娘の意図とは

実は先日主人と旅行に行きました。
たまには息抜きにいいのでは?よかったじゃない。

と周りからは思われるかもしれません。
実はそうではないんです。
娘の起立性調節障害のあることについての

あるところでフォーラムがあったので、

そこに参加したいなと思ったんです.

ここでも私ができることは

何なのかなんていうことをちょっとでも情報があれば、
という気持ちで持って行こうと思ったのです.
ちょっと遠いので、

女1人で行くのは大変ですから

ジュ人についてきてもらったわけです.
本来ならば娘を連れて行くのがいいのでしょうけど
娘が「2人でいってきて」

と言ってくれたので、

主人と2人で行くことになりました.
結果的には本当によかったフォーラムだったと思います.
そこで話をしてくれた方と話をすることもできましたし、

本当に良い機会だと思いました.
主人もこの話を聞いて、なにかかんじたようです。

娘のためにと思っていた私の行動は少し行き過ぎていたのではないかと思って、

いたみたいですが、

このフォーラムの話を聞いて、

なるほどなと私のやってることを理解してくれたようです.
そのときに初めて娘がなぜ私達2人にこのフォーラムに参加しろと言ったのかということがわかりました。

娘の体のためではなく、実は主人、つまり娘にとって父親の理解を深めて欲しいということだったんでしょうね.

娘にとっては私1人が奮闘する姿を見たくないと思ったんでしょう.

主人にも協力して欲しいと思ったのではないでしょうか.