娘を思うゆえに、われあり。

子供というのはいくつになっても娘です。
私と同じ背丈になっても、
というよりも子供というのはかわいくて

仕方がありませんよね。

その子供が病気で苦しんでいるんですから、

私がかわりにその病気を受けて

私自身がその子の代わりになってあげるのと、

どれほど嬉しいだろうと思ったか、つくづく思います。

無理でも笑っていなければいけないと思う今日この頃です。
この症状自身は、私の人生も娘の人生も
とても試練を与えられたと思っています。
いろいろな人の話を聞き、
いろんな人と接することによって、慰められるというか
ありがたいなあと思うようなことです。

それもこの病気になっていなければ、

聞ける話でもないということも、

出会うこともなかった人だなと思うと

今となっては誇らしく思っています。

誰もがなる病気ではないということ。
そしてこの病気になった場合、周りの理解がなければいけないという、
この2点を解決していかなければなりませんね。

それで一歩前にいけそうです。

 

いまわかったこと。

大きな病気でない.

単純にいつかは治るというようなものは

世間ではなかなか納得してくれないものなのかななんて思います.
そういった観点から

私が一生懸命やっていても

周りの人達には

なかなか理解してももらえず

とても辛い思いをしました.
そして、先日からお話しているんフォーラムに参加してから

私の主人も大分意識が変わったと言っていましたが、

本来ならば、

周りの人たちもフォーラム来ていただけるとありがたいなと思うのです。
私たちのことを理解してくれというわけではなく、

娘も私も、苦しんでるんだということを少しわかっていただけたらありがたいのに

と思うのです.
肝心の娘ですが

相変わらず変わりはありません。

しかし周りの環境つまり

私や夫が変わってくることによって、

大分気持ちが楽になったということでしたっ
私が一生懸命だっていることがかえって娘にとっては

負担になっていることもわかったし、

頑張れば頑張るほど

悪循環に陥ることもわかりました.

今娘のために何ができるのかというと、

彼女のまわりの環境をできる限り整えてあげることなんだなと

いうことがわかりました.

私が出来ることと言えば

はっきり言って

私ができることなんてたかが知れています.
能力もなければ、

それほどの力もあるわけではありません。
しかし、娘のためを思えばほんとに何でもできる.

そういう気持ちって大切なんですよね.
起立性調節障害という言葉をきいた時は

この言葉を初めてみみにした時は、
驚いたとかショックとか、

そういった感情もありませんでした.
まずそれは何なの???ということだったのです.
つぎに娘のために何をしてやらなければいけないのか

ということを考えると、
全く思い浮かばない自分がいたわけです.
いろいろなネットで調べたり、

私ができることをと言う通りやってみたのですけど
どれも空回りしていたのが
今では懐かしく思えるのです.
懐かしく思えるということは

それだけ自分が成長したってこと?
などとちょっとプラスに考えてみるだけ

最近は余裕が出てきたのかもしれません。

病気のことについて

いろいろと書くよりも

私の心の変化を書いていったほうが

私と同じような悩みを持ってる人にとっては、
伝わると信じています.

私が幸せだと思ったこと

私の主人が理解者にならなかったわけではありません。

主人も少なからずしっかりと理解してくれているはずです。
でないと私自身がつぶれてしまうはずですから.
娘のために必死になっているのは

娘が頑張ってるからなのですが、夫も少なからず私を支えてくれるからなのです.

でもその主人が先日のフォーラムに参加して

やっぱりかんじることがあったというのはとても大きかったようです.
私への理解度が足りなかったごめんという形で言ってくれたのは

びっくりしましたが、とてもうれしかったです.
でも謝る必要なんて何もないんですよね.
彼自身も仕事をしているわけですし、

いろいろ世の中にはあるじゃないですか.
それを娘のために、そして私のために

いろいろと尽力してくれることは感謝しかないんですよね.
ありがたいわけです.
しかも今回のフォーラムも私がついてきてという形で

お願いしたのに

いろいろと感じ取ってくれることというのは

とてもありがたいなと思いました.
私、すごいでしょというのではなく、

私のことを素直に褒めてくれるということは本当に慰めになりました.
心のストレスもなくなりました.

私自身が褒めなければならないところも主人が褒めてくれたということは

本当に大きなことだと思います.

そういう意味でわたしは幸せだなと思いました.

現状を褒める

娘にとっても1人では何もできません。

母親の私も1人では何もできないわけです.
先日書いたブログでも結果的にはそういうことだったのです.
これって決して絶望という意味ではありません。
むしろ次への希望だと思って考えて

いこうということだったのです.

そういう発想は私にはありませんでした.
治らない病気だったら絶望だったかもしれませんが、

いずれ治る病気です。

何の問題もありません。
こういうことをいうと

何だか慰められてるのか、はたまた人ごとなのかと思うかもしれませんが、
やっぱり当事者がいると言葉に重みがあるというか説得力あるんですよね.

心の中で思っていたことというか

背負っていたものがすーっと消えてなくなった気がしました.
娘のために必死になっているということは、

それはかえって大きなストレスになったり、重荷だったりするんですよと
気楽になれって言われるが、むしろ逆に気楽になれないと語ってしまうところだということなのです.
だからこそ当事者がもっと気楽になってと

言われるとの意図を受け止める気持ちが出てくるはずだと言われたので

びっくりするぐらいストレスがたまっていたんだなということがわかりました.
こういうフォーラムは

どうしても解決策を探るとするのですかそうでなく、

現状をとりあえずよく頑張ってるということで

自分自身を褒めてあげることが大切だということを教えてもらい、

なるほど、ほんとにそうだなと思ったんです。価値があったのです。

娘の意図とは

実は先日主人と旅行に行きました。
たまには息抜きにいいのでは?よかったじゃない。

と周りからは思われるかもしれません。
実はそうではないんです。
娘の起立性調節障害のあることについての

あるところでフォーラムがあったので、

そこに参加したいなと思ったんです.

ここでも私ができることは

何なのかなんていうことをちょっとでも情報があれば、
という気持ちで持って行こうと思ったのです.
ちょっと遠いので、

女1人で行くのは大変ですから

ジュ人についてきてもらったわけです.
本来ならば娘を連れて行くのがいいのでしょうけど
娘が「2人でいってきて」

と言ってくれたので、

主人と2人で行くことになりました.
結果的には本当によかったフォーラムだったと思います.
そこで話をしてくれた方と話をすることもできましたし、

本当に良い機会だと思いました.
主人もこの話を聞いて、なにかかんじたようです。

娘のためにと思っていた私の行動は少し行き過ぎていたのではないかと思って、

いたみたいですが、

このフォーラムの話を聞いて、

なるほどなと私のやってることを理解してくれたようです.
そのときに初めて娘がなぜ私達2人にこのフォーラムに参加しろと言ったのかということがわかりました。

娘の体のためではなく、実は主人、つまり娘にとって父親の理解を深めて欲しいということだったんでしょうね.

娘にとっては私1人が奮闘する姿を見たくないと思ったんでしょう.

主人にも協力して欲しいと思ったのではないでしょうか.

風邪を引いて。

とうとうこの前私は風邪をひいてしまいました.

そうなんです。

ねこんでしまったのです.

彼女と同じで、朝起きられないなと思っていたら、

どうやら熱がすごく上がっていたのです.

体の調子が悪いなと。

なかなか次の一歩をふみだせない。その時ハッと気づいたのです.

それは何かいいますと、娘はいっつもこんな感じで努力しているんだということを。

これはとても辛いです.

もちろんこれがパラレルで私と同じようになっているわけではないのは重々わかっています.

しかし彼女が本当にこれというのは、こんなものではないのではないかと思います

起きたくてもおきられないのですから.

障害だという言葉がよくわかります.

まるで前に石があるかのように、なかなか起こしてくれないのです.

起きたとしたらすごく疲労感だけが残るという。

こんな感じが彼女を襲っているのかなとわかりました.

確かに一度動けてしまえば、人間は案外動けるものです。

その手前まで動くまでが、すごくしんどいんですよね.

初めて私の娘と同じ経験をしました.

ちょっと泣いてしまいました.

それが彼女に対してまだまだできると。

まだまだやっていなかったなと思ったからです.

私も一つ経験できたことはとてもお仕事だと思っています.

しかし同時に、どういう方にすれば彼女の立場にたって良いきっかけになるかということも

学べたような気がします.

風邪が治ったときに実際にチャレンジしようかなと思っています。

うまくいけばいいのですが。

娘のために

私の場合はたまたま娘であった.

その娘の笑顔をもう一度見てみたい.

別にそれは、ずっと病気というわけではないのです

朝起きられない.

それだけなのかもしれません。

しかし、起きられない時の彼女の顔はとても苦痛です.

それをずっと見続ける私たちもです.

これは嫌なことではないのですよ.

彼女の笑顔を見たいだけなので、

そのために一生懸命私達ができることをやってあげるだけなのです.

そして恩着せがましくしくしてるわけではないのす。

これが無償の愛というか、

彼女のために何かをしてあげたいという気持ちがすごく強くなったのは確かです.
娘は本当に努力家です.

一生懸命頑張っています.

だからこそ応援したいのです.

食べ物なのかもしれないと思ったら食べ物を中心に書いていきたいと思います.

ベッドが悪いならまたそれを。

枕なら、枕を。

人の言う正しいものを彼女に提供したいと思います.

改善策はなかなか見つかりませんが、

いろいろなひとと話をして経験できたことは大きなとおもいます.

父親(主人)と2人だけならなかなか見つからないものも、

他人の言葉を聞いたらはっとすることもあるんですよね.

とても良い勉強になります.

娘のためにできることと書いていますが、

とりあえず今は、娘のためにできることすべてをやってあげようと思っています.

親としては当然かもしれませんが、

当然だと思うことは本当に当たり前のようにやり、

それは 親でもできないだろうっていうのも、積極的にやって行こうと思っている

実際に参加してみて。

いろいろなところにかおをだして、

情報を得たいと2人で頑張ってるってことをかきました.

全国各地というぐらいいろいろなところに行きました。

ということはいろいろな人に会うということ。

そこでは自分たちより、ずっと辛い思いをしている人や

考えられないほど辛いことをしている人の話がありました.

でもどの者たちも、すごく明るくて私たちの方がかえって励まされた気がします.
一番みんなが同じように言っていたことは誰もがサボっているように思われることよね、ということでした.

子供がそのことにすごく苦しんでるときに、傷づいた言葉を言ってしまったのは友達でも先生でもなく、

私自身だったと自分を責めた人もいました.

でもこういったところは、つまりは自分は間違ったことをしていないが、間違ったことをいってしまった.

それをしてしまったがために反省して、みんなで頑張って行こうと同じ目的を持った仲間たちがいるんだと気づくのです.

そういったことを聞いて私も娘もすごく考えさせられましたし、決して別に悪いことではないというか、

自然のことなんだと思うようになりました.

何だかすごく落ち着いて気分。

今までムカムカしたところがすっきりしたような気に。

間違っていることなんてないんだ、本当によかったと思っています。

感想としては、きてよかったのかもしくはみんなに会えてよかったのか.

いやそれよりもこの空間に入れたことがよかったのかなど、とりあえずどちらにしろ、ほんとによかったなと思っています.

二人だからできること。

子供は親が想像している以上に早く育つといわれています。

娘も私の想像以上に早く成長してくれてうれしいものです。

しかし、このブログでも書いていますように、娘に思わぬ障害が出てきたため、たしかに

たちどまっているような感じはします。

でも、これはいつかは終わる障害だと信じています。いまは確かにつらいけど、

一緒にがんばったことはいい思い出になると思っています。

女の子として、同性として彼女とはこれからも私とともに歩んでいかなければ行けません。

サポートをしっかりと行いますが、これはなんだか楽しまないとばちがあたりそうです。

ずっと娘とひとつのことでかかわりあえるのは、願ってもないこと。

反抗期に悩んでいる母親たちがいる事を考えると、ぜんぜんらくなもん。

贅沢は言ってられないですね。

起立性調節障害かあ。

これがあって感謝、なかったらよいと思っていたのに、感謝です。

夫にも迷惑をかけているけど、お前たちは仲がいいなといわれるほど、密接なんですよね。

病院にもクリニックにも行けるところはどこへでも行きます。

これからも少しでも情報がはいるとすべてそれを受け止めていこうと思っています。

こういった同じ悩みをもっている人の会にも参加しました。

おなじ目的というか、悩みを持っているのはこんなに気軽に話ができるのかと感じました。

行ってよかったところ、こうすれば改善されたなど、きちょうな意見を聞く事ができました。

これからももっと情報を得たいと思います。